澪標 劇場公園編
君からの連絡を受け取ったとき
僕は、まさに帰宅途中だった
遅くなったのは、友達と立ち話をしていたから
ついでに嫌なこともあったけど
作品は、君が学生のときに演じたもので
とても思い入れがあるのだと言っていた
後輩との話も弾んだようで、
あとで楽しい話が聴けるものだとばかり思っていた
連絡のない時間に、僕は珍しく苛立っていた
僕にご飯をどうするのか聴いておいて
食べて帰るのかどうか分からなかったから
そこまで察するのは難しい
その上、帰ると連絡をもらったときには
他にも色々していたことを、妬んでしまいそうになって
自分をぶん殴ってやりたくなる
何をしても自由だと言ったのは、僕じゃないかと
ヤキモキした自分に、余計に腹が立った
「貴方に話したいことがたくさんあります」
そう言われて、さらに嫌な気持ちが増す
何を言われるのか悪い想像ばかりしてしまって
夏夜の蒸し暑さも覆い被さって
自己嫌悪で身体ごとおかしくなりそうになって
食欲は遠くに消え去ってしまった
平静を装(よそお)おうとして、僕は失敗を重ねた
迎えが必要そうな気がして、確認してから駅に向かった
ようやく帰ってきた君と落ちあう
3杯呑んで、すでにフラフラなのに飲み足りないと
缶チューハイを2本買った
「帰りながら呑みますか」
提案されて、前は丁重に断られたのに
どういうわけだろうかと思った
何となく危機感、あるいは違和感があって
コンビニに近い公園へ連れていく
蝉の羽音がひどく煩(うるさ)い
それが、ふたり劇場開演のブザーになった
君が学生のとき演者だったことは知っている
君のサークルにいたという男性役者の話は、興味深かった
「脇役なのに目立ちすぎって言われてたんです」
今回の役者より彼の方が上手かったと感じたらしい
傍目に聴いてもそうなんだろう
「脇役より目立てない主人公役が悪いと思うけどなあ」
「主人公って目立たないものじゃないですか」
そう返されて面食らってしまう
言われてみればそうかって、思わなくはないけど
脇役は主役を立てるためって、それだけであって欲しくはない
舞台に立つ以上、演者はスポットを浴びている
今夜の公演では、後輩が同じ役を演じていたという
当然、自分が演じたそのときのことは
否が応でも重ねて観てしまうだろう
「私は彼女ほど本気じゃなかったんです。
声にばかり注目してしまうから」
観点なんてひとそれぞれだと言ってしまうのは、横暴な気がした
「僕はライブのとき、目を瞑って声を聴くって
話したの覚えてる?」
頷いた君を見て、話を続ける
「それは声が一番大切だからなんだよ。
動きよりもね。すべてのベースは声だよ」
納得とは言わないまでも、うんうんと聴いていた
「彼女を観て、羨ましくなったんです。
それに、あのとき親に、自分が行きたい進路を言えなかったことが
いまだに悔しいんだと思います。
普通に考えれば、選択肢として間違ってないとは思います。
ただ、私は生きることを、楽な方を選んでしまったんです」
本当に “ 楽 ” だったんだろうか
僕は、そうは思わない
君のすべてを知らなくても
君が一生懸命に生きてきた証だと言いきれる
劇のストーリーは“ある女性”の人生なのだそうだ
青春時代、大切だった“彼”が若くして亡くなってしまう
生きている“女性”にとって、一生残る痕(あと)になる
そこから先の君は、溢れる情動を涙ごと吐き出した
「綺麗なまま、10代で死にたかった…!
ずるいじゃないですか、そうやって痕を残していくの!
あのひとに褒めて貰えたのだってすごく嬉しかった…!
もう二度と会えない、何も伝えられない…!!」
僕はそのひとを知らない
君がどれだけ想っていたのかも、同じ温度では語れない
「物語の彼だって、いなくなった。
あのひとの詩が好きだったのに、いなくなった。
あのひとには、もう明日がないんです」
そこで僕は、ようやく辿り着けた気がした
というか、どこかで考えていたことが確信になった
「君は、僕の詩が嫌いかい?」
「貴方の詩は、私との日常の記録って感じで好きです」
僕は続けて問う
「じゃあ、僕に死んで欲しいのかい?」
そう聴くと、君は懸命に首を振る
「いやです。生きてて欲しいです」
涙まみれにならないように
僕のハンカチで丁寧に拭きながら
「いなくならないで…」
しがみつくように抱きついて来る
しばらくそうしてから、そっと離れる
僕も泣いていたことには、気づかれなかった
それから、無責任にならないように
就寝前にする朗読のように、君に言葉を紡ぐ
「生き抜いてから、あのひとに伝えに行ったらいい。
去年あそこで、僕だって綺麗なまま死にたかった。
でも、君が僕の、これまでの長かった孤独を救った。
僕は生きてるし、いなくならないよ」
嗚咽(おえつ)一歩手前くらいで必死に堪えようとして
それでも溢れてくるものは留(と)められない
君が選んだ「生きる」ことを
間違いだなんて、君にだって言わせない
何度だって、肯定して
ひとりじゃなくてよかったって
いま、ふたりで生きてて良かったって
何度だって、思わせてやる
自分で変えられないなら
何度だって、僕が変えてやる
“君が僕を変えたように”
この公園には、僕らだけだった
主演も助演も、僕らだけだった
監督も脚本家も、観客でさえも、
僕らふたりだけだった
熱帯夜なんて、もうどうでも良くなっていた
コンビニに、さっきまでのお酒の缶を捨てて
マスカット味のソフトクリームと水を買った
どんな組み合わせだよと思う
ふたりで綺麗に分けあって、速攻で食べてしまってから
さっきまでに流れた水分を回収する
今更のようにやってきた
青春と初恋をお互いの手で確かめる
この世界で、誰より愛しい声が
この世界で、何より心地いい音を持って
たったひとり、君だけに許した特別で、僕を呼ぶ
抱き締めるように、何度も呼ぶ
この世界で、誰より愛しい君の名前を呼ぶ
ふたりで帰宅すると、午前2時半を回っていた。
—澪標 劇場公園—
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