チーズと鞄と音楽と。
次の日は君の休みで、出掛けるというのに
性懲りもなく喧嘩をしてしまった
帰宅途中の君と、延々にLINEでやりあって
玄関のドアが開いた音にも気付かなかった
だから、部屋のドアが唐突に開いたとき
僕は正直に驚いた
怒っているとばかり思っていた
怒るどころか、君は僕のところへ来て
一瞬だけ言いにくそうにして、意を決したように“告白”した
それは、僕が君に好きだと伝えた日に
聴かされたそれとよく似ていた
キャロットタワーの展望台じゃなくて
自宅の、しかも僕の自室で
雰囲気なんかあったもんじゃないけど
あの日と同じように、僕は笑い飛ばした
「貴方は嫌がると思って、言えませんでした」
秘密は抱えておきたい癖に
言わずにいるのは、息苦しいらしい
ようやく胸の痞(つか)えが取れて
すっきりしたように見えた
そのあとは、甘い夜を過ごした
そうして今日を気持ちよく迎えた僕らは
パスタソースをアレンジしたミートソースリゾットに
我が家の定番サラダをつけあわせて
いつもよりちょっとだけ特別なブランチを食べた
電車の時間を図って、君を準備に送り出した
そのはずが全然出て来ない
これは間に合わないなあと諦めたところで
出てきた君が何をしていたのかと聴くと
「リップ探してたんです…
今日のメイクには、オレンジが良くて…
見つからなかったんですけど…」
あんまりしょんぼりしながら謝ってくる
「出る時間もよく分からなくて…」
しまった、正確な時間を伝えていなかったと
気付いて、叱る気になれなかった
電車に乗って、自由が丘へと急ぐ
友人5人組のバンドライブに行くためだった
もう間に合わないと覚悟していたけれど
着いてみたら、絶賛準備中だった
会場内は超満員で立ち客もいる
この期に及んで眼鏡を忘れた僕は
運良く残っていた1席に君を座らせて
写真を撮りながらスマホ越しに観ることにした
気持ち良く伸びていくボーカルに
キリッとしたサウンド
贔屓目でなくても、心地いい空間だった
あとで聴いた話、ボーカルの彼は
ノリノリの僕が口パクするのを見て
歌詞を確かめていたそうだ
見られていた恥ずかしさと
勝手にサポートできていた嬉しさの
謎マリアージュだった
アンコールは、諸般の都合でなかったけれど
出演者全員に見送られる
ごった返す通路で、ドラムの彼女に声を掛けられた
「春のライブのときも、ふたりで来てくれたよね。
また一緒に来てくれて嬉しいな」
「あのときは、まだ付きあってなかったけどね。
今回も楽しかったよ。ありがとう」
ふと回想に浸る
忘れもしない、半年前のこと
君に誘われて、嬉しくて
行きの電車で、君に向けられた眼差しのこと
直前にお寿司を食べて
ライブの後で、満開の桜の下を歩いたこと
手を振る間もなく、どこかに行ってしまって言えなかったけど
ふたりのいまがあるのは、ある意味、
このバンドのおかげだと言っても過言じゃない
この先、メンバーに伝えることがあったら
「そんな大袈裟なあー」
照れながら満更でもない顔をする景色が浮かんだ
いつか歌にしてもらおう
思いながら会場を後にした
それから、さっきの会話を君に話しながら
「どこまで歩かせる気だ?って思ったよね」
「そうですね」
2駅分も歩いたんだから、無理もない
「あのころは、こうなるなんて思ってみなかったね」
口にして、君の手を取った
雑貨が見たいというので、その辺を徐(おもむろ)に逸れてみる
このご時世には珍しい、地図に載っていない店に出逢った
近寄らなければちゃんと読めないくらい
びっしり言葉が書かれたの看板に誘(いざな)われる
宝箱みたいな店の中で、君はモノトーンの絵の鞄に惹かれた
いまも有名画家の絵がプリントされた革の鞄を提げている
それもあって、好みの真ん中だったようだ
一度はお店を出たものの、やっぱり欲しい
無くなってたらどうしようと、閉店20分前に駆け込む
鞄は変わらずそこにあって、君を待っていたようだ
このときのことを、というより来店するひとたちのことを
ダンディーでお洒落なイケおじ店長さんが
日々丁寧にSNSに綴られていて
僕以外に僕らを書いてくれることが、とても嬉しかった
お腹が空いてきたところでディナーに向かう
食に糸目をつけない君のお勧めだけあって
肩に力が入って、背筋も伸びた
僕ひとりで、まず入らない“こだわりの店”だ
隠れ家のような趣の中で、ビールと赤ワインで乾杯する
鹿肉のローストも、カルボナーラも絶品だった
ベーコンの絶妙な塩味と焼き加減に思わず
「これ買って帰りたい…!」
口に出てしまうくらい美味しかった
とはいえ、僕にそんなスキルはないから
内心、泣く泣く諦めた
チーズの盛りあわせに、お酒が進む
食後のチーズケーキまで、じっくりしっかり味わって
ほろ酔い気分で街の喧騒に戻った
「カラオケ行きましょう!」
ダメ押しに、アルコールを自由に飲めるプランで
一時間半、たっぷり呑んで歌い尽くした
コンビニで、更に1瓶と1缶お酒を買って
帰り道、不意に君が言った
「誰かのために使うのも悪くないですね」
君の貴重な休みを僕にくれたことは、言うまでもなく嬉しい
日々のことを労わってくれているのだと思うと
殊更に胸の奥までじんわり温まった
「頑張らなきゃね」
「頑張りましょうね」
僕には、頑張る理由も叶えたいことも
山のようにある
「君を唸らせるレストランを探すのは、
大変そうだけどなあ」
冗談半分に言いながら、
僕は、心に誓った。
—チーズと鞄と音楽と。—
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