澪標 旅花火
今夜は、今年2回目の花火を見に行くことにしていた
君の予定を曲げてしまったことに
罪悪感がないと言ったら嘘になるけれど
それでも、選んでくれたなら楽しんでもらいたいと
口にはしなかったけど、そう思っている
花火の前に、やることが盛り沢山あった
題して、「予約と電話と発券祭り」である
来週2泊3日の旅行に行く君のために
留守番の僕が頑張って組んだ旅程で
万一、宿なし足なしにでもなったら、笑えない冗談だ
出ると決めたリミットは大いに過ぎちゃったけど
慣れないことをよく頑張ったし
良いこともあったから良いことにする
前日呑んだくれた後悔は、どこにもなかった
今度の僕は、ちゃんと右前で浴衣を着た
紅い花火柄の浴衣ワンピースを身に纏った君は
いつにも増して、かっこいい
電車は、それなりに混んでいたけど
運良く席が空いて、座って移動できた
それでも、まだまだ遠い道のりだった
発券祭りのために、渋谷で途中下車する
君専任の旅行コンシェルジュにでもなった気分で
みどりの券売機を駅員並みの速さで叩いて
時々、注釈を入れながら発券していく
大人の君には失礼かもしれないけど
ごちゃ混ぜにせずに行けるだろうかって
何枚も切符が入った封筒を眺めた
本当に行きたかった花火には、今年は行けない
切符も宿も観覧席もカメラも、何も持ってない
僕の夢は、来年のこととは言え、もう決まっている
電車に乗り直して、改めて会場に向かった
間に合わないのは確定案件で、着いてまもなく打ち上がった
「ビール呑みながら観たいです」
そう言われて、コンビニに立ち寄る
「これいいですね!」
「それ、前に一緒に飲んだやつだよ」
綺麗なサブタイトルの美味しかったやつを
うっかり忘れていた君を嗜めて、それも買った
どんどん上がる花火に歓声を上げる観客を横目に
僕らは全力でごぼう抜きして、ようやく辿り着いた
座るところがないのは覚悟していたのに
持ってきたシートはちゃんと役に立った
ただ、立ち客に阻まれて、地上近くの花火は見えない
止むなく、ビールとお好み焼きをふたりで分けながら
フィナーレ前に移動しながら見ることにした
これが功を奏するとは、このときには知り得なかった
いざ動くと、ところどころ空きがあって座れたし
周りのひととの距離を十分に取った上で、立ち見もできたのだ
君と花火を撮るには、もはやイージーゲームになる
フィナーレを飾るように、しだれ花火が乱れ咲いた
哀しくは、ならなかった
君と逸れないように、手を繋いでいる安心感だってある
特別な名前で呼んでくれる、鼓膜の向こうのむず痒さも
最寄駅は唐突に詰めかけた人々を捌けず、
すぐに帰ることは早々に諦める
ただ、休もうにも椅子もなければ
すんなり入れるお店もなくて
1時間以上も彷徨う羽目になった
昔馴染みのスーパーを見つけて滑り込む
小腹を何とか満たしたところで駅に向かうと、
花火なんてなかったかのように空いていた
ホームに降りて電車を待っているとき
君がいきなりこんなことを言い出した
「帰り一緒なの、嬉しいね」
「うん?」
頭の上にハテナを浮かべた僕に
「普通はさ、一緒の家じゃなきゃバイバイじゃん」
君の言う通りだった
帰る家が同じなんて、どう考えても当たり前じゃない
君とふたりになった日常を、僕は何よりも愛している
「ねえ、撃沈した?」
この詩を書き始めた僕のスマホを
ニヤニヤしながらのぞき込んで来るのが
なんだか癪だったから
「してるしてる」
テキトーに聞こえるように返しておく
ビールを2缶空けた所為だけじゃない気がした
電車は混雑こそしていなかったけど
僕は座れず、殆ど最後まで立ちっぱなしになった
すこし疲れて欠伸したら
「眠いね」
「うん、眠い…」
返したら、もう一度してしまった
駅に着くと、もう日付を跨ぐ間際だった
「苦労して帰ってきたのも、いいですね」
さっきコンビニで買ったスパークリングの日本酒を
ふたりで代わりばんこに呑み歩きながら帰る
そんな僕らふたりを、上弦の月が照らしていた。
—澪標 旅花火—
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