良い夫婦の日編

カランカラン

「さ、さ、さ、ささむううう」
買い物から帰ってきた詩歩は、大袈裟に言う。
「おかえり。ごめん、急に買い出し頼んで」
「牛乳切らすなんて、うっかりするからです!」
「ううっ、だからごめんて」

人間、間の悪い時に気付くものだ。
ホットカフェオレを作っていたときに、あ…、ない…。
ヒヤヒヤしながらも、その1杯分はギリギリ足りたのだが、これ以上は無理だ。
と言うことで急遽詩歩に買い出しを頼んだのだった。

「ごちそうさまでした〜」
「はーい!ありがとうございましたー」
カランカラン

ホットカフェラテを頼んだお客さんがカウベルを鳴らしたところで、店内は一段落した。
そして僕は言い難いことをさらに続ける。

「詩歩。僕、もうひとつ言わなきゃいけないことがあってさ」
「なんです…?」
言いながらギロリと睨まれる。
「今月、お店、周年なんだよね…。12周年…」
目の前で言葉を失いながら、呆れ顔に変貌していく。
「き、づいてはいたんだけどさ、何しようかって思ってるうちに」
「今日まで来ちゃったと」
後ろに、ゴゴゴゴゴとエフェクトを掛けてくる。
ひいぃぃぃぃいぃ…。
「はあぁぁぁ。
 祐月さんが何か考えてると思って言えなかった私も悪いですし、
 一緒に考えます」
そう言いながらも、口がへの字でないのをかわいいとふと思っていた僕の顔を
詩歩は見逃すことなく、あっかんべーをよこした。


1日の営業を終えてから、僕らは何をするか考えた。
話し合える相手がいるのは本当にありがたいし、これからもずっと大事になる。
準備の日は臨時休業にして、せっせと動いた。今度は牛乳の買い忘れがないように。

そうして、11月22日、カフェ"ポエム"12周年記念祭はやってきた。

僕らが特別な日を迎える度、雨が降ったことは一度もない。
僕らのハレを天気にしてくれる神様には感謝ばかりだ。

良い夫婦の日にあやかって、南米産の2種類の豆を混ぜたブレンドを提供することにした。
いつも通り、ゆっくりドリップしながら、ああ、12年かあと思った。
詩歩がここに来てからも、もうすぐそれくらいになる。大きな節目ではないにせよ、何かしたいなあ。
でもどっちかっていうと、僕の歳の方が、、と節目になるのは仕方なかった。

周年だからと、たくさんの人で賑わった。お世辞にも広いとは言えない店内で、おめでとうとありがとうが飛び交う
この景色を来年も見られるように頑張らなければ。気を引き締めた。
夜に差し掛かってようやく人がまばらになり始めてやっと、いつもの雰囲気を取り戻した。

カランカラン
「いらっしゃいませ!」
詩歩の声が迎えてから席を勧める。
カウンターが良いと言うお客さんは、大体は僕とコーヒー一杯分の会話をする。

「周年のブレンドをお願いします」
「かしこまりました」
さっと一杯分を準備する。
ドリッパーとサーバーに湯を通す間に、豆を測って挽く。湯通ししたドリッパーにペーパーを入れて、豆を入れる。
あとはゆっくり、実にゆっくりと愛用の超細口ドリップポットで淹れていく。
既に店内はコーヒーの香りで満ち足りているはずなのに、何度淹れても淹れたての香りには敵わない。

「お待たせしました。12周年ブレンドです」
「ありがとうございます」
そう言ってから、すっと、一口をとても丁寧に飲んだ。
「マスター。最近、仕事に身が入らなくて」
「何かあったのかい」
「ううん、何かってわけじゃないんですけど、こう、頑張ってるはずなのに、
 人からは頑張ってるよねって言われるのに、自分じゃそう思えなくて」
「うん」
「私がやってることは間違ってないか、って不安になるっていうか…」
「少なくとも、間違っては、ないんじゃないかな」
「そう、ですか…?」
「僕ら人間ってさ、他人の尺で測られることでしか、自分を測れないんだよね。
 寂しい話だけどさ。だから、せめて、他人から良いと言われたところは認めてあげて、
 でないと、きっとその人も褒め損になっちゃうし」
「結果論しかない…ってこと?」
「いやいや、その人は君と毎日一緒に仕事してきたからそう言えるんだよ。
 頑張りって、自分が思ってる以上に、伝わってるもんさ」
「そう、なんですか」
「うん。きっとそれが自分にとっての助けにもなるよ」
そうだと良いな、という僕の希望も混ざっているけれど、僕も思ってきたことだ。
「なんだかなあってのを出したくなったら、いつでもおいで」
「ありがとうございます」
そうしてやっと、肩の力がすこし抜けたようだった。

ゆっくり店じまいをしていた。

「祐月さん、周年お疲れさまでした」
「こらこら。いつまでも抜けないよなあ、敬語」
「あっ、、うぅん、、癖なんです」
「ようしようし」
頭を撫でると、くすぐったそうな顔をする。
敬語での会話が長年のせいなのは確かで、そんなにすぐには抜けないらしい。
ちょっと長かったのか、仕返しを食らう。
「よく頑張りました」
「僕はテスト頑張った小学生か」
「そんなもんです」
「ふん」

日常にすこしずつ戻っていく。

何かが激変するようなことはきっとない。
ゆっくり、一緒に変わっていくんじゃなくて、毎日積み重ねて形になっていくんだと思う。
僕らはそれでいい。それがいい。

A recollection with you

カフェ“ポエム” since 2010.11.27

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